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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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キーシンを聴いて

投稿日:2011-10-29

9月にパリで、友人とパリ管ほかのコンサートに出かけた際、「今いいピアニストって誰かな?」みたいな話になり、プレトニョフ、ペライア、アルゲリッチ、キーシンなどの名前が挙がった。

でも8月の終わりにBS放送でヴェルビエ音楽祭の模様を見た折、キーシンのヴァイオリン伴奏を聴いてなんか噛み合わずというかやけに身振りが大きく「あれ?」と思ったこと(しかしそのあとのソロはすばらしかったけどね。)を思い出して話すと、その友人も首をかしげて「う〜ん、私はキーシンってあんまり好きでないのね。なぁんか無駄な動きが多いように思うの。」って。やっぱそうなのかなぁ?と神童と言われた頃からだいぶ久しいのでよくわからないけど、等々思いつつ。・・・

 

そんなことを話していたら奇遇にも名古屋の友人からメールが入り、「こんどの名古屋でのキーシンリサイタルの招待が出ますが、出かけられませんか。」・・・・・・!?そこはひとつやはり、とうことで「今パリに来ています。その件、有り難く頂戴いたします。」(^^))-☆と返信。

 

 

さて時は過ぎ、先の月曜、私の急な申し出に我が家に調律の方が来てくださった。部分的に調律がおかしくなっているのと、なぁんか弾きにくいので来てもらったもの。

整音が終わり、こんどのキーシンリサイタル聴きに出かけるのですが、と話しかけると「あ、こんどのキーシン、私、担当なんです。」って嬉しそう。 

あら、まぁ!

 

 

当日、6時45分の開演に5時40分にレッスンを切り上げさせてもらって、出かける。1時間あれば悠々着くと思いきや、スタバのエスプレッソをひっかけて結構ぎりぎり。

 

いや、キーシンは偉大でした。とてもよかった。

やはり彼はソリストです。本物のピアノを久々、聴きました!

 

この日は近頃はいっしょに住んでいてもなかなか話している暇もないくらいのすれ違いぶりの母をいざなった。

彼女はほんとにいいものしか耳を傾けられないひと。

「すこし素晴らしい」くらいなら、普通なら途中で平気で居眠っているところが、今回は目を輝かせてずっと聴いていた様子。

 

そうして「貴方達のは指運びでしょ。キーシン、あれがピアノの音なのね〜。ピアノってつくづくすごい楽器ね。弦からキーシンの身体までが繋がって見えたわ。」

 

ははぁ・・・(+o+) 貴方達とはどのレベルを指しているの? ($・・)/~~~ 

おこがましい限りじゃないの? あまりに十把一絡げすぎない? 

だって彼はキーシン。・・・はぁ〜、そう、ま、つまりは超特級とそれ以外、ということで。

(そうそう、ほんとにいいものしかわからないみたい。)

 

では、生徒たちはどうなるの?(@_@;) 

 

あ、指並べ〜?(`´) 

 

あのね、日本とヨーロッパではバックグラウンドが全く違うの。

ひとつ音の出しかたから違うの、なのにその認識がね。

だから日々たいへんなことなのよ。

でね、そういった中で一所懸命教えている立場は〜?

 

いやぁ、はい、はい。なるほど、わかりました。

は、はぁ〜。(-。-)y-゜゜゜

 

まぁ、こんな母が元気でいるから、私はいまだ日々探究心に満ちていることができるのだと感謝しております。はい。

 

 

そして私は、というと、キーシンの演奏を聴きながらずっと以前にNHK-BSで聴いたアルカディ・ヴィロドスArcadi Vilodos リサイタルの感動をなぞらえていた。(ウィーンでのリサイタルの模様だったのですが、ビデオ放送でも釘づけで感動してしまったくらいのすばらしさ。生が聴いてみたいものです。)

天賦の耳はもちろんのことだが、音符の隅々にまで傾けられる情熱と誠意、エネルギーの強さと温かさを感じた。

 

キーシン40才、素晴らしい演奏だった。これからの円熟期を迎えて、確実にすばらしい芸術家としての道をゆくことでしょう。

 

こうしてリストイヤーに、ちょっと忘れがたいオール・リスト・プログラムのリサイタルを聴くことができた。

 

 

また私のグランドピアノを調律してくださっているM氏のピアノバランスは「やはり好きだな。」とあらためて客観的に音を聴きながら思ったもの。

 

思えば私がS6を購入したのは、当時のYAMAHA調律師の技量を厚く信頼してのこと。でもその後早期退職で会社を退かれて、後任になかなか満足できず。困り果てていた頃、あるコンクール会場でのピアノバランスがあまりにもいいので、楽屋に「きょうのチューナーは誰ですか?」と。

そこでM氏を紹介され、その後YAMAHAの営業方にその名前を上げると、「Mさんはいいですよ。黒田先生にMさん、いいと思います。」と強く圧してくれた。社の利益をのけてのこの時の営業方の誠意には今もって頭が下がる。

 

 

そんなこんなで、いろいろなことを振返り、感謝のこころでいっぱいになった有難いひととき。 

 

来週3日にはペライアのリサイタルがあり、これも楽しみにしている。

 

100人のピアノを聴いて

投稿日:2011-10-18

先だっての日曜日、第45回中日ピアノグレードテストピアノコンクールに出かけた。 

 

岐阜、高山、東京、名古屋でおこなわれた地区審査会で優秀だった幼児〜成人までの参加者が集い、皆それぞれの思いでステージに上がった。

 

今回審査に立ち会わせていただいたのだが、朝9時から計9時間にわたり、110名の演奏を聴いた。

これはどのコンクールでもそうだが、上手なひとはたくさんいてもそのなかで本人なりに指先に自分の思いを明確に伝え切れているひとは1割ちょっと。

これはひとえに練習量もさることながら、音楽に対する深い情熱のゆえん。自らの思いとそれを見守る素直で豊かな環境も必要だろう。

 

そんな中最優秀賞に選ばれたのは、下呂在住の小学6年生。

ドビュッシーの作品をまるでミューズの神が舞い降りてきたかのように、水を得た魚のごとく演奏した。 http://bit.ly/qNa2jH

 

きっと彼女自身も好調で、素敵な曲とも巡り会い、テクニック面での充実も相まって、感謝のこころで演奏できたのだと思う。こうしたすべての時機を兼ね備えたような瞬間に、こうして立ち会えることは幸せな一時。

また審査員全員一致でこの受賞が決まったのも、印象的だった。

 

 

授賞式が終わって岐阜駅に立つと、朝から12時間が経っている。すべてが無事に終わり、ほっとする。

 

 

年齢にかかわらず自分のものとして消化している演奏は、ほんとうに清々しい。

日頃指導にあたって思うことはたくさんあるが、教えることそのものよりも伝え切れているか、ということをいつも思う。

教えることはいくらも出来るが、それを本人が深く広く消化してゆくには、いつも音楽に対する情熱とすなおなこころがなければ本人のなかで広がってはゆかないだろう。

 

すこしでもいい音楽に触れ、上達したならじっくりと幸せに感じられるような心のゆとりを大切にしてほしい。

そうしてそこに留まらず、もっともっと出来ることを探してほしい。

 

また、自分は出来る!と言いきかせ、先生が何でも教えてくれる、と他人まかせにしない。 

自分から音楽をつかまえにいく、という構えはとても大切だし、こういった自主的なこころの積み重ねこそが実りとして本人に宿ってゆくのだから。

もちろん本人だけでなく、周囲にいる家族にもこうした思いが必要なのは言うまでもない。余計な期待や押しつけは厳禁だ。

 

 

楽器演奏って、人間性のすべてが出るもの。

だから人と比べて、とかそんなことよりも、自分の内側をしっかりと見つめてほしい。

 

「音楽を追求することは、すべて自分の内側にある。」と実にそう思うし、そういった強さをぜひつかんでもらいたいと思う。

 

試演会のあとで

投稿日:2011-10-10

きょう午前中にコンクールっこたちの試演会。

 

この秋、中日ピアノグレード記念ピアノ演奏会に出演する生徒、ショパン国際ピアノコンクール In Asiaと日本ピアノ教育連盟ピアノオーディションにエントリーしている生徒たち13人中11人が集まり、演奏した。

皆大きなミスもなく自分らしい演奏をしていて、にっこり。

 

夏以降ご父兄の付添いなしで先生と1対1のレッスンに切替えて以来生徒たちの自主性も育ち始め、レッスン中でも気軽に質問が来るようになったし、時には小学生から「ここの左手は手首のどの動きを使って弾くの?」などとても建設的な質問が来てびっくりすることがあるようになった。

 

毎回どこをどうやって練習したらよいのかきちんと自分で理解し、受け留めてゆこうという生徒たちの前向きの姿勢は、「付添いは要りません。」と言われてしまった(?)お母さま方に少々はさみしいかもしれませんが、とても頼もしいものです。

 

終わるとお昼前でしたが、皆でお茶とお菓子。

立食パーティーさながらでしたが、皆うちとけあっておしゃべりも徐々に高まり、笑顔いっぱいの楽しい会になりました。

 

 

私も会うのが久しぶりの友人が駆けつけてくれたので、終わって極楽の「茉莉花(ジャスミン)」でランチ。とても品のよいお味で、美味。

     これにもうひと品と塩そばがつく!

 

その後、近くのイタリアン「リストンテ・エスト」でお茶。

            

テラス席で貸し切り気分!

気もちのよいひとときでした。

 

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