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「黒田ゆかピアノリサイタル2015」を終えて

投稿日:2015-12-26

23日のピアノリサイタル、師走のなか会場満席のお客さまを迎えて無事終了し、ほっとした

 

今回のリサイタルについては前日からすごい葛藤があり、でもいったい何に葛藤しているのかわからないままに、「演奏って何だろう?」とか「これまで気もちよく弾き終えたことってあったかしら?」だとか思いながら、朝を迎えた。

どうやら、「音程表現の微分化」とでもいうようなことを考えていたらしい。

テクニックについての見直しは、もはやない。譜面の読込みも十分に出来ているはずだ。それなのにまだ指の動きが先行し、音名の羅列が頭のなかを駆けめぐる。音名を排除した<美空ひばり方式>の音と音の間のエネルギーを感じ入れる捉え方のほうが余程しっくりくる。

音の一つ一つは全体のなかの一素材であり、そのひとつひとつは調性というunionのなかで全体と調和する。点描の一素材は全体のなかで調和する、シスレーの点描画の如くである。

その色彩の法則が補色と光の関係であるとすれば、西洋音楽のなかでの法則は調性であり、平均律だ。様々なタッチによる音色変化、ペダリングがもたらす音響の変化に加えて、2音間の音程感覚。・・・あのtempo、あの繊細さ、あの音のやわらかさ、あの軽やかさのなかでの、例えば2度と3度の音程表現のちがいを、半音階に埋もれる全音進行の差異を、2曲め冒頭のいきなりの1オクターヴと6度上行の躍動するエネルギーを、または3曲めの順次進行のなかで突如現れる6度の響きを感じ入り、こころからあらわすことが出来ているのか。

音楽はひとつの音から次の音へ何度か上がるか何度か下降して音が紡がれてゆくわけで、その音程が作りだす光と影、陰影こそが揺らぎとなり、音楽の流れを生み出す深みとなり、energyとなるはずだ。

どうやら、そういったことが葛藤の要因だったようなのである。

 

そうして後半のプログラムでは、その音楽上の調和を導きだし、そのなかに自分がいるのを感じた。

「映像第2集」では、木の葉のささやきや光と影、金の魚のしなやかな動きと水の戯れが自然と浮かび上り、やわらかな音響空間につつまれた。

ラストに弾いた「月の光」、これまでに何度となく演奏してきた中でおそらくベストの出来で、音楽という調和のなかで自分の手から溢れ出るうっとりするようなピアノの調べを気もちよく聴いている自分自身がいた。

アンコールに「小犬のワルツ」と「アラベスク第1番」。・・・これもほぼ自分のイメージ通りの音響空間を提供できていた。

 

 

リサイタルを終えた夜になってそんな自分自身の葛藤に途方にくれそうな気になりながらも、それが「我が演奏なのだ。」と思い入った。江戸川乱歩の作品を読むと、その時代考証や背景描写など書くまでの工程には目が眩むほどだ。そこまでやらなければならないのかと思ったりもするわけだが、やろうとしている自分に気づかされ、やはり乱歩の血か、とこれには我ながらシャッポを脱いだ。

お聴きくださった方々には音楽の感動をもたらし、自分は大いに学んだのだから、つくづく素晴らしい会であった。

 

    

 

今回のリサイタルのきっかけになったのは、ブログ「ぶっつけ本番、譜めくりニスト?!」にも書いたで、この音楽サロンのオーナーご夫妻の、コンサートを提供する立場としてひとつひとつのことに真剣でよりよいものにしてゆこうとする音楽への愛情こもった志あるひとコマひとコマが、私の音楽上の心構えに火をつけた。

もっと自分も真剣に、演奏を提供するものとしてやれること、やるべきことはないものか。そういう思いで、今回のリサイタルにむけて努力の毎日を重ねてくることが出来た。

 

フライヤーが出来上がってすぐの8月初めに、プレスラーリサイタルのチケットビューローで知合ったばかりのご婦人が4枚まとめて購入してくださったことは甚く嬉しかったし、この方は11月にはご自宅で試演会まで開いてくださり、お世話になった。当日、全面的にサポートしてくれた友人。生徒たちには普段のレッスン時には見せない姿も見せることになる。リサイタルが何かもわからないような年少の生徒たちや一人でやってきた小中学生の生徒たちも静かに聴き入ってくれていた。半年ぶり、数年ぶりで聴きに来てくださった知人、友人たち。ここ数回の演奏会を連続で聴きに来てくれている知人も多く、県外の遠方から足を運んでくれた方や、HPを通じて来てくださったまったく存じあげないピアノファンの方もいた。そんなこんなで、プログラムも好評だったか当日は会場満席の状況で迎えたコンサート。

しかし何と言っても嬉しかったのは、終演後の皆さま方のまったりとした笑顔。なんか美味しいものでも食べた後のように満たされた紅潮した面持ちにつつまれたことだ。

私自身はまだ改善すべき課題があるというのにこうしたことは、すべて音楽の力の為せる業といえるでしょう。

 

演奏とは、瞬間瞬間の音響空間による造形美。

音はたちどころに消え、同じ時空は2度とめぐり来ない。

でも、だからこそ、音楽は愛おしい。

そして感動を呼び起こす演奏体験は、1月のブログにも書いた通り、ひとの心に深く沁み入り、沁みこんで、深く残るものだ。

 

今回のリサイタルでは次回への課題がはっきりしていて、これからより完成度の高い演奏を目ざして躍進したい。

お聴きくださった皆さま方、関係者の皆さま方、ひとえにありがとうございました。

  

      

 〜追記〜

寄せられた感想を添えます。 

「ゆかさん、こんばんは。昨日は素晴らしい演奏を聴かせていただきました。
本当に素敵でした。聴いたことのない曲も、ゆかさんの解説を読み、よ〜く理解できたような、楽しめました。
ドビュッシーが大好きな私には夢の時間でした。また、聴かせてくださいね。」 

「リサイタル、素敵でした!とても楽しかったです!
即興曲全曲通しで聴いたのは初めてだったし、次のワルツ第7番は何度も聴いたことはありましたが、先生の弾くワルツは別もののように素敵でした。
ドビュッシーはいくつか好きな曲はあったのですが、リサイタルで初めて聴く曲も多く、でも先生の色彩豊かな音色がとても曲にあっていて、また聴いてみたくなりました。先生のピアノの音がキラキラと宝石のようで、ピアノの音が改めて大好きになりました。あれを聞いてしまうと、うちのピアノがなんだかつまらなく感じてしまいますね。娘は先生の音色はもちろんだったと思いますが、あれだけの曲数を人前で演奏できる先生をすごいなぁと、あらためてつぶやいていました。
コンクールで、1曲か2曲を弾くだけでも大変だと身に染みてわかっているからでしょうね。プログラムノートに細かく曲について説明がされてあったのがとても
興味深く面白かったです。ドビュッシーのショパンのピアニズムを受け継いだ・・・のあたり、なるほどと思いました。ピアノを弾くにはただピアノだけ弾ければよいのでなく、作曲者はもちろんですが、その時代背景や文学、絵画など多岐にわたって勉強されている先生だからこそのあの音色なのだと納得した次第です。音楽は本当に奥が深くおもしろいですね。
この年は先生のリサイタルを聴く回数も多く、本当にありがたくよい1年でした。ぜひ来年も楽しみにしております。」


これと前半まったく同じくの内容のご感想を口頭でいただいた生徒ご父兄もいて、びっくりでした。


中学生の生徒さんからも「ひとつひとつの音がちゃんとよく響いていて、ほんとうにきれいな音でした。あれだけたくさんの曲を素敵に弾かれて、ありがとうございます。」


社会人生徒さんのひとりからは「後半のイマージュの3曲がとくに素敵で、とても気もちよくなって目をつむっていると、自然に自分の身体が左右に揺れているのを感じたんです。そうしてなんて心地いいんだろうと思って目を開けたら、前に座っていた男性がまったく同じ動きをして身体が揺れているのをみて、びっくりしましたし、何だか嬉しくなりました。」と。


この感想はとりわけ嬉しかったです。

音楽=「スィングが要」と思っている私。
素敵な空間が創れたこと、有り難く思います。

これからも聴いてください。よろしくお願いいたします。


      

  

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