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今村惇子ピアノ教室


ブログ

落下の王国

投稿日:2015-06-27

インドのターセム・シン監督作品

「 The Fall 」 落下の王国を観た。

たくさん人が落ちていく映画だが、私も夢でよく

ふわっと落ちることがあった。

大好きだった鉄腕アトムのマネをして

2階の窓から飛んだこともある。ゆめで・・ね。


この映画の主人公ロイ青年は、無声映画時代の

スタントマンという設定で、橋から落ちて半身不随に

なってしまう。

恋人も去り、人生に絶望していたところへ仕事の手伝いを

していてオレンジの樹から落ちて腕を骨折した少女

アレクサンドリアが入院してくる。彼は、モルヒネをとって

こさせるために、作り話の冒険物語を少女に聞かせる。

少女はその物語に夢中になり、自分も登場させ話を想像し

ふくらませていく。彼が悲劇で終わらせようとするその話を

アレクサンドリアが懇願することで、再生への物語になっていく。

彼の葛藤と純粋無垢な少女の夢物語である。

世界遺産をふくめ、24か国以上で撮影されたという。その

映像美と衣装の豪華絢爛さには目を見張る!!

ぜひご覧ください。ちょっと怖いけど・・・今夜は

シン監督の「 The Cell 」鑑賞予定なり。


why?

投稿日:2015-06-10

イギリス ロマン派の詩人 

ジョン・キーツの「ギリシャ古甕のうた」の一節に


耳にひびく音楽は美しい、だが 

耳にひびかぬ音楽は

ことさらに美しい。

さあ、その静かな笛を 吹いておくれ。

人の耳にではなく、もっとしんみりと

霊魂に、音のない歌を 吹きならしておくれ。


そして最後のくだりに


<美は 真であり 真は 美である>と。

−これこそは きみたちが この地上で知り、

また知るべきすべてのものなのだ・・・ とある。


詩集の最後に訳者出口保夫氏の つぎのような

言葉があった。 まさに音楽に通じることだ。


 キーツの詩の表現は、きわめて具体的で、直接的である。

かれは、詩は木の葉が大きくなるように、自然に生まれる

ものだと言っている。

だからすべての詩の表現は、かれの精神の

内奥から、直接的に流れ出したものである。それは時として

曖昧な表現となることも否めない。しかし詩の美しさは、

そのような曖昧性とか、神秘性に起因することも真実である。

キーツはいわゆる感覚によって思想を獲得した詩人であるが、

その華麗な美の表現そのもののなかに、思想が宿るのである。


突然!こどもの絵本の話に移るが、

最近4歳のこどもたちと読んでいる、

トニー・ミトン作 「どうして どうして?」  

よくお話を聞く機会のあるアーサー・ビナード氏の訳なので

興味があり、読んでみたのだ。

このなかに登場するしりたがりのこぐまくんは、なんでも

おかあさんぐまに 「ねぇ、どうして〜は〜なの?」と

見たこと、聞こえたこと、感じたことをなぜなぜ?ときくのだ。

そのときのおかあさんぐまの答えがまさに 詩人!!

そして優しさにあふれています。

あたりが薄暗くなって、まんまるのきれいなお月様を

ふたりで見つめています。 こぐまくん・・・

「でも どうしてぼくが ここにいるのかなぁ、どうして?」


「それはね、いっしょうけんめい どうしてかなぁと

かんがえるためなのよ」


どうしてどうして?は、こどもだけの特権ではなく

少年〜青年〜大人になっても、もち続けてほしい。

リハーサル

投稿日:2015-06-02

来る6月12日(金)!! 発表会のための

リハーサルを行います。

場所は、パルテノン多摩リハーサル室

幼児〜小学3年生  18時〜

     ピアノソロ 声楽ソロ 連弾練習

     全員集まり次第合唱練習 


小学4年生〜大人  19時〜  

     ピアノソロ  連弾練習


21時まで練習ができます。中学生以上の方は

あわてずにいらしてください。 

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