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井上ピアノ教室


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新作オペラ「滝の白糸」

投稿日:2014-02-24

泉鏡花の名作を基にした新作オペラ「滝の白糸」が上演されるというので新国立劇場へ出かけました。一幕から三幕まで、休憩をはさみ3時間に及ぶ大作です。

作曲:千住 明、台本:黛まどか、演出:十川 稔、指揮:大友直人、テーマアート:千住 博

 

日本にはまだ、こんなに豊かで奥ゆかしい言葉があったのか…。精魂込めて紡がれた言葉と、詩情あふれる音楽とが一体となって生み出されたアリアに、酔いしれたひとときでした。色彩を迎え、無駄なものをできるだけそぎ落とした十川さんの演出。季節のうつろいが織り込まれた舞台は一幅の絵画のようで、私達を別世界へといざなってくれました。月の光が照らす夏の浅野川で、白糸と欣弥が再開する場面。ソプラノの中島彰子さんとテノールの高柳圭さんが歌い上げる玉響(たまゆら)の逢瀬は、息をのむ美しさでした。

 

あらすじ:水芸人「滝の白糸」は、乗合馬車の御者、村越欣弥と知り合う。金沢、浅野川の天神橋で再開し、欣弥が父を亡くしたために学問を断念したことを知った白糸は、自分が仕送りすると申し出る。思いがけない申し出に戸惑う欣弥。白糸は「お前さまの望みが叶えばそれでいい」と譲らない。欣弥が白糸の仕送りを受けて東京で暮らす間、白糸は金策に苦しんでいた。やっと工面したお金も南京出刃打ちの一団に奪われ、放心状態となった白糸は、たまたま出会った老夫婦をあやめてしまう。裁判当日、検事代理として白糸を尋問したのは、かの村越欣弥だった。白糸は欣也に促され、真実を白状し、死刑を宣告される。死刑前夜、欣弥は監獄の白糸を訪ね、恩人である白糸に極刑を下した許しを請う。その夜、欣弥は自らの命を絶つ。

 

自分以外の人には無関心という殺伐とした社会に生きているからでしょうか。「あなたの夢が私の夢。お前さまの望みが叶えばそれでいい」と欣弥のために一途に愛を貫く白糸の生き方に、心惹かれました。いつからか、愛されることばかりを求めるようになってしまった私達に、このオペラは本当の幸せとは何かを静かに問いかけているような気がします。

 

「玉響(たまゆら)の星の逢瀬を浅野川 水鏡して永久(とわ)に留めよ」

 

最後の場面で歌われた合唱が、今も心の中で鳴り響いています。

 

 

上智大学カウンセリング講座

投稿日:2014-01-27

昨年の4月から一年間、金曜の夜に上智大学カウンセリング講座に通いました。「人を助け、励まし、支える」際に、私達はどうしたらいいのか。「人を大切にする」とはどういうことなのか。一方通行の講義ではなく、演習を通して共に考え、学び、深めていく授業でした。錆びついた私の頭にとっては想像以上にしんどいもので、何度もくじけそうになりましたが、先生方の熱意や共に学ぶ仲間の励ましにささえられて、一年間休まず通うことができたことを心より感謝しています。

 

小グループでの対話と観察、ロールプレイングなどを通して互いに学び合う体験は有意義なものでしたが、同時に、自分自身のいたらなさと正面から向き合う時間でもあり、その場から逃げ出したくなることも何度かありました。でも、「失敗のセッションなどないのです」という先生の言葉に勇気をいただいて、なんとか前に進むことができました。

 

特に3泊4日、一日約10時間という夏の集中研修は忘れることのできない思い出です。マイクロ・ラボラトリー・トレーニング(小さな実験室での対話訓練)は、対話グループと観察グループ5人ずつに分かれ、それぞれが役割を持ち、グループ全体でわかり合っていくというものでした。なかなか自分の殻を破れない私達に、先生は全身全霊でぶつかってきてくださいました。「仕事も休み、家庭もおいて、あなた方はここに何しに来たのですか」という言葉を聞いて、はっと目が覚めました。人から教えてもらうことは、これからもできます。本を読んで学ぶこともできます。でも、自分の中で何かがストンと落ちるような体験は、今、この時にしかできないのです。もっと一回一回のセッションに真剣に臨まなくては、と気力が奮い立ちました。対話を重ねるごとに、一人ひとりが心の扉を開いて見えない糸でつながっていくような、温かい気持ちに包まれました。

 

 「球根が春になって芽を出し、花を咲かすためには、自分で殻を破らなくてはなりません。人も真に自由になるためには、自分の殻を自ら破って出ていかなければならないのです。時に、痛みや苦しみを伴うかもしれませんが、コンフォートゾーンから踏み出さない限り、人は成長しないのです」

 

という先生のお言葉が、今も深く胸に焼きついています。カウンセリング講座を受講するまで、おこがましくも私は、人の話を聴くことができていると思っていました。でも、それは、自分の経験に照らし合わせて「わかったつもり」になっていただけだったということに気づきました。自分の価値観、自分の枠組みを脇に置いて、目の前の人をありのままにわかろうとする。これがいかに大切で、難しいことか、痛いほど感じました。相手が本当に伝えたいことは何なのか。私達はつい、表面に出てきた言葉に反応してしまいますが、「言葉にならない声に耳を澄ます」ことが何よりも大事だということを、身をもって学んだ一年間でした。

 

小さい頃から通ってきてくださるピアノの生徒さんやお母さまとは、5年10年といった長いおつきあいになります。年を重ねるごとに、生徒さんだけでなくお母さま方からもピアノ以外のさまざまな悩みを打ち明けられるようになりました。生徒さんやお母さまの心の重荷を少しでも軽くできたらと思ったことも、講座を受講した理由の一つでした。この講座で学んだことを心の拠り所にして、自分のおかれた場所で、悩み、悲しんでいる人のできるだけ近くに寄り添い、その人の苦しみを受け止めることのできるような人間になりたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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