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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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ラ・フォル・ジュルネ2010金沢(2)

投稿日:2010-06-06

この「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」でのピアノはほとんどすべてがフランスメソッドによる優美な音ばかりで、私にとっては心洗われるような時間でした。またこれだけ外来の演奏家の演奏を聴いていると、そして時折若手の日本人の演奏を小耳にはさむと、西洋人と日本人の音感の歴とした違い、我々東洋人に欠落しているリズムの客観性が乏しい点などを明確に理解することが出来、フランスに勉強に行ったくらいずっと集中して音楽と向かい合えるいい時間になりました。 

 

          

     (ストリートオルガン)

 

最後の日はこの2つのコンサートを聴いた後、ひがし茶屋街や近江町市場などを足早に回ってきました。そうして金沢フォーラスというファッションビルを横切ろうと「あ、あそこを出ればバス停目の前ですから。・・・」という友人のナビゲートに正面玄関を出ると、目の前に!携帯中の「パ、パ、パスキエ〜。」思わずカメラを取り出す隙に、金沢在住の友人が携帯電話を切ったパスキエ氏に「ピュイ・ジュ・プレンドル・ユヌ・フォト・アベック・ヴ?(写真を一緒にとって頂けますか?)」とすかさずアプローチ。パスキエ氏は午後のコンサートでコンチェルトが終わったばかりだったらしい。ご機嫌な様子で、3人ともがそれぞれこんな風におさまった。パスキエ氏はニースでもコンサートを聴いたことがあり、懐かしく、嬉しかった。  

 

                             

 

飛んだフォトタイムのおかげで、すぐにバスが来た。

楽しかった金沢タイムも終わり。

帰りはハイウェイバスに揺られて、のんびり戻った。

 

いい音楽をたっぷり聴いたおかげで、翌日からのピアノレッスンもずっと調子がいい。ここのところ西洋人と日本人の拍感の認識の違いを考え、その違いをどう伝えてゆくかに神経をとられてきたが、今回の時間を経て、リズムに客観性をもたせることの重要さに行きあたった。それを生徒たちにどうわかりやすく伝えてゆくか、当面の課題だろう。

それが演奏上の前進力、流動性に、確実につながる。 

 

そういったことがクリアされてくると、さて私自身の中では楽譜の小節割りの問題が出てきた。これが結構むずかしい。皆フレーズは4小節単位が多いのでしょう、なんて軽く言うが、とんでもない。今みているクレメンティのソナタの或る楽章なんか、いきなり5小節で始まる。

で、なんでそんなことする必要があるのかと言えば、楽譜を鳥瞰図的にみたタイムイメージとでも言おうか、演奏全体の進行を把握するにはそこまでの配慮が必要なのだ。

 

そんなことを考えていた矢先5月16日に、日本ピアノ教育連盟東海支部の会合があり、作曲家としてピアニストとして静岡音楽館AOI芸術監督として多彩なご活躍をされている野平一郎氏の講演会があった。前術のような問いはあまりソリスト的頭では考えない。で、そこは作曲家に、ということで、当日講演後親睦パーティがあったので、私はこの機を逃すまいと、クレメンティやモーツァルトのソナタ集、ベートーヴェン「悲愴」のコピー譜などガサッと鞄に詰めこみ出かけたのでした。この日の野平氏はバッハ平均律のレクチャーで「まぁ3,4曲はやりましょう。」と言いながらすごく内容の濃い切りこみで熱演。第1番ハ長調のアナリーゼが終わると、もう90分を過ぎていた。2時間の講座を終えて集中力から解放されているご様子のところに楽譜を持ち出すなど気がひけたが、乾杯のあと思い切って質問してみた。そうして数分の会話の二言三言で、あぁ、もうその言葉があれば、というくらいに合点した。

「モーツァルト以前のような楽曲では偶数でないことも多い。」「ヘミオラが現われるところは3小節になる場合が多くありませんか?」「いや、そうとは限らないが、前から数えて4小節めの完結した小節から新たに始まって1小節めの小節と重なる時がある。」など考え方の方法論をお聞き出来たからだ。「たいへんですね。」と言葉をかけられて「いや、頭わるいものですからひとつわからなくなると将棋倒し状態でして。・・・」と答えると「いや、要するにそれだけいろいろな考え方があるということです。」ともおっしゃった。 

この野平先生がこの日の講演のなかで「もし無人島に行くということになったら私はバッハの平均律を持っていく」と言われたのが印象的。なぜって氏は平均律集のリサイタルもなさっているし、CDも楽器を変えて3枚ほど出版されているという。なのに、それでもまだ考えられる(分析できる)要素がたくさんあると言われるのです。野平先生のような頭脳の持ち主がそう、ということなら、私なんて杖ついて歩くようになってもまだ足りないっていうくらいもう確実に時間がありませんね。(笑)何ともこれからが、楽しみなことです。

 

期せずして、いろんなことがあった5月でした。

そして音楽は、例えば宇宙の神秘を解明しようとする物理学や地質学の研究のようにパシッと割り切れないことばかり。

音楽は一生をかけても「あぁ、やっと少しわかるようになった」などと

思えるくらいのものなのかもしれません。いや、確実にそうでしょう。 

だって音楽はもともと古代ギリシャ時代にあっては「科学」のカテゴリーであったわけですし、西洋音楽はとてもロジカルなものですから。

そしてその理論の軸から放たれる芳香な響きは美しく、感覚を呼び覚ますものです。まるで月から地球を見るように。・・・

 

だから、わからない部分に苛つくより、わかる部分を楽しんで丹念に

音楽と接してゆこう。

  

自分の中でまた新たな発見や感動をえて、有り難い季節でした。

 

                  

 

ラ・フォル・ジュルネ2010金沢(1)

投稿日:2010-06-02

ずっと書きたい、書きたいと思っていた金沢。・・・

何だかほんとに充実した時間になりました。

 

この「ラ・フォル・ジュルネ」というイベント、ご存知の方はまだまだ余りいらっしゃらない。金沢の他に、東京・新潟・びわ湖でも行なわれたらしいのですが、話をしようにもなかなか大変。http://lfjk.jp/index.htmlの公演情報をクリックしてもらうが早いかもしれません。

私はこの5月3日のNo.121のペヌティエの公演から3日間にわたり10公演を聴いたのですが、同じ日に金沢駅前に集中している3会場で誠にバラエティに富んだプログラムが一斉に行われており、またその他にも駅のコンコースとかホール前とか近くのホテル日航のロビーなど至る所で若手演奏家やプロによるコンサートが始終行なわれており、まぁ夢のような音楽の祭典なのであります。そして今年のテーマは「ショパン」ということで、今年同じ生誕祭であるシューマンをはじめ同時代のリスト、メンデルスゾーンの作品も多かった。

 

そしてこの音楽祭はそもそもフランスのナントという町で始まったそうで、ルネ・マルタン氏の企画によるこのイベントには、フランスの音楽家がどっとやってくる。それで今回はピアノのジャン=クロード・ペヌティエが来ると知って絶対行こうと思っていたものです。他にもヴァイオリンのパスキエ、今回は指揮者としての来日でしたが同じくヴァイオリンのカントロフ、ピアノのリグット、この辺りはニースに渡仏して勉強した頃の教授陣の方々で、当時クラスを聴講にいった思い出もあり、名古屋音楽学校の講師をしている友人と出かけたのですが、私にとっては興味津津の演奏会ばかりでした。

                                                  

ペヌティエのソロではリスト・プログラム。新幹線とJRで朝から駆けつけたばかりの身に、神々しいピアノの音色が有り難かった。・・・夢のよう。

ティーブレイクの後、午後一番はヴァイオリンソナタ。パスキエの深い音色、ピアノの広瀬悦子の繊細なピアノも印象的だった。

 

さて会場の入り口と邦楽ホールを行き交う通路にはエラールのピアノが置いてあり、朝から私は興味津津。案内人の若い女の子が「ショパンの時代のピアノです。ショパンが弾いたかもしれないピアノですよ、さぁ弾いてみてください。」って言ってるんです。

え?ホントに弾いていいの?・・・ん?って振返ると、5,6才の子がギロックを弾いている。う〜ん、弾きたい。で、ちょっとスケール弾いて「小犬のワルツ」を。いやぁ、軽やかなタッチ。優雅で高貴な音。ほんと触れているだけで音が零れる、って感じ。すご〜い、弾かせてくれるなんて!同行の友人とはしゃぎ、写真を撮ってもらう。

でも、これホント大丈夫〜?こんな繊細な楽器、誰でもかでも弾いてくださぁ〜い、なんて。明日になったら閉鎖かも、なぁんて思っていたら、早くも夕方には調律師さんが神妙な面持ちで検査してました。

(もちろん翌日にはロープが張られていました。)     

     

                   

               

そして夕方からはカントロフの指揮でパスキエのシューマン・コンチェルト。夜一番はリグットのソロで、リストやショパンの名曲を聴かせてくれた。そしてこの日のラストがペヌティエのショパンコンチェルト第1番。これは泣けた。何という繊細なディナーミク。まるでショパンが弾いているかのような稀有な演奏だった。アンコールにドビュッシー「月の光」・・・これも忘れられない。

こうして一気に5公演を聴いたが、疲れ知らず。朝が早かったので眠たいはずなのだが、こころは弾んで眠れない。

 

翌日はゆっくり朝食を済ませ、会場に行くまでに駅のコンコースで若手のピアニストがショパンを熱演しているのに立ち会う。11時からのコンサートでは、ヴァシリエヴァとマンゴーヴァの演奏でショパンのチェロソナタを初めて生で聴く。午後一はトリオ・ヴァンダラー。次はカントロフの指揮、マンゴーヴァのピアノでリストのコンチェルト。このブルガリアのピアニスト、マンゴーヴァの実力は強烈で、忘れがたい。でも最初に出ていらっしゃった時は流石にびっくり。普通は椅子の前方半分くらいに身がおさまるものですが、この女流ピアニスト、優に椅子丸ごと全面にぷっかりと座って、そのどっしり感はすごいもの。腕は見事に脱力されていて、グリッサンドなんてピュイ、って。このコンチェルトでは前から5列目くらい(しかも反響板のすぐ前)の席でどうなるかと思ったのですが、ひとつも耳に障る音はなく、強烈なのに清々しいくらいに芯のあるくっきりとした音程感。そしてひとつひとつにハートのこもったあたたかい音。すばらしいとしか言いようがない。このひとはすごい。 

 

この日は夕方から金沢の友人と落ち合い、金沢21世紀美術館で遊び、彼女に案内されたビストロで美味しいフレンチをともにした。

 

                              

 

 3日めの5日は「まぁ、金沢見物かな?」と言っていたのですが、思わずチケットを買って、3人で聴きに行きましょう、ということになり、飽きることなく、朝10時からコンサートへ。ブリジット・エンゲラーのピアノ。メンデルスゾーンやリスト、ショパンなどのサロン風の作品を有り難く聴いた。ほんとに朝からいいものを聴かせて頂きました。午後はこのエンゲラーとパリ管のショパンコンチェルト第2番。こんな風に第1番と第2番を連日で味わえるなんて、ほんとにありがとうございました。

 

この他メインホールでのコンサートの合い間には、青島広志のトークコンサートや若手のトリオも聴きましたし、アンサンブル金沢のメンバーによるコンサートなどを目の前で聴けてとても有意義でした。  

 

・・・ラ・フォル・ジュルネ2010金沢(2)へ続きます。

 

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