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向山敦子ピアノ教室


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推理小説 短編集

投稿日:2018-11-07

ミステリー作家お二人を読む。

ディクソン・カーとハリイ・ケメルマン

ハリイ・ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」は、

初め読んだときは、よくわからなくて(あたまわるっ!)

(まあ眠いベッドの中で読んでるので・・・と言い訳しつつ・・)

でもだんだんとその

「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中

となるとなおさらだ。」という短い文章だけから、事件を

推理し、難事件を解決していく面白さがわかってきた。

その後の短編でもこのニコラス・ウェルト教授の推理が

冴えわたり気持ちが良い。ニッキイという愛称が

いかにも頭がきれそうな感じがして、いいねェ。

「おしゃべり湯沸し」と

「梯子の上の男」が面白かったですね。

カーの方は、ミステリー色が強くておとろしい・・・

「妖魔の森の家」

不可能犯罪作家と呼ばれるカーは密室トリックを得意としている。

読みながらこちらも、うーーーんどうしてなのかー?

と考えていくのが面白い。やはり眠くなってくるので

何日かは同じところを読み返したりしてますが。

短編5本入っていましたがどれも秀逸!!

 

昨夜から北村薫の「盤上の敵」を読み始めた。

これは、読んでいてひりひりする感覚が半端なく

この先どうしたものか・・・と考えているところ。

多分心もひりひりしてきそうな予感がする。

ずいぶんとつらい本です。

 

 

 

 

 

 

 

気づくということ

投稿日:2018-09-25

北村薫の「空飛ぶ馬」を読んだ。

噺家の円紫さんが、女子大生の 私 から

出来事の前後、周りの環境、人間関係を

聴いただけで、ことの真相を暴いていくという

ミステリー小説である。これは、殺人など起こらないので

どきどき感や圧迫感・・・ん?同じ?

は、あまりないのですが、女子大生と周りの人々の

(もちろん推理する円紫さんも) やりとりが大変面白く

ロイヤルミルクティーの美味しいカフェでの謎解きには

わくわくしながら自分も参加しているように思えてくる。

 

さて、探偵役の円紫さんのすごいところは、

とき(時間差)への緻密な計算や感覚、

人の仕草や言葉のとらえかたの

鋭いところであろう。

カンバーバッジのシャーロック・ホームズを

観ているとわかるが、彼は主に視覚から

いろいろなことを推理する。その人の洋服の

しわの入り方、靴の減り方やそのほかいろいろな

癖などから、人物像を瞬時に割り出すのだ。

円紫さんは、落語家なので言葉の意味するところを

深く考慮し演じているところから、この 私 が

話すことだけでいろいろと気づきがあるのだ。

 

とても面白いのでぜひぜひおすすめいたします。

 

ピアノの練習もどんなレベルの人であっても、

毎日毎日が気づきの連続のはずである。

上級者は、解釈の点や作曲家の意図などの

気付きがあるでしょうし、5歳のお子さんなら

ここは、さっきとおんなじだー・・なんて気づいたり

同じ指使いのほうが弾きやすいな・・とか。

毎日の練習は、熟練の為、脳に記憶させるため、

手の筋肉の強化など目的はたくさんありますが

この気づきを大事に練習していただきたいと

思います。(修業中の書道もそうだなあ・・・

師匠に言われるまでなかなか気づかないことばかりですが・・)

 

たくさん気付ける人間になると

人生面白いのかなあって思います。

宗教心

投稿日:2017-12-30

「現代霊性論」を読む

深く共感したところが、見えないけどあるものが

この世にはあるよね。

って樹の根っこじゃなくてね。根っこも大事だけど・・・

ではなくて、

場とか空気、言葉など目に見えて威力があるわけでは

ないけれど、何らかの力が及ぼされているように感じる。

言葉は暴力とか呪いとか、まだ解りやすいかもしれない。

場所の名前や人の名前も、とても霊的。人が集まりやすいところ

反対に避けていきたいところが私には感じられる。

ホテルに泊まる時にしばしばどうしてもこの部屋は

駄目だということがあり、頭を下げて替えてもらう。

それは、空気の重さであり、匂いでもあるのだ。


私の友達にクリスチャンの方がいて、何か迷いごとが

あると必ず、

「神様、私の選ぶべき道はどちらでしょうか?

私は間違ってはいないでしょうか?」と

何日間も夜、祈り続けるのだ。そして

答えを導き出すという。世界各国政治のトップの人物が

宗教心を持っていることは実際多いと思われるが

重要な問題を考えるときに、この宗教心をも含めて決定している

この本で読み、違和感と、しかし、さもありなん感を感じた。

私みたいな無宗教者であると

いろんなことを決意するときに祈ったりはしないなあ〜。

そんなに重要な決定事項もないなあ〜。

さてさてこの宗教心、神様のお姿も見えないし、言葉もきこえないし、

どう祈りが通じたかがわかるのだろう?祈ることで、自然と少しずつ

答えが導き出されるのかなあ。 私が思うに・・

「神様・・私は間違ってはいませんでしょうか」と人が問うとき、

きっと、答えるのはやはり自分なのだと思う。よくよく考えたことが

大事なのであって今まで自分の生きてきて培った倫理観や道徳観に

照らし合わせて自分に正直になるということだろう。と

今年の大晦日はとっても寒いらしいです。

お参りに行くときには暖かくしていかなくちゃ。そしてこの一年の

無事息災であったことをお礼に参ろう。

神様のお姿は見えなくても

自分がそうしたいのだから。

スピリチュアルな感覚はいつまでも持ち続けていたい。



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