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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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エッセイ:音楽の未来に向けて

投稿日:2010-01-03

明けましておめでとうございます。
今年は雪の白さに気もちの引きしまる年明けでした。
この3が日はいろいろなことを考えていました。

私は89年に初めてフランスでの夏期セミナーに参加し、翌90年に2夏続けて再度訪れ、その際パスカル・ロジェ氏にフランスメソッドの基本を教わって以来ずっと勉強を続け、その基本原理と応用を理解するに至りました。ほぼ20年をかけて、バロック、古典からロマン派、近代にかけての全作品で、その基本原理をどう応用させて練習すればよいのか、またそれを理解するためにどういった基本的な毎日の練習があるのかを、わかりやすく説明することができるようになりました。そういったテクニックについて私は大学時代に習ったことはほとんどありませんでしたし、周囲も皆そうでした。しかしとりわけ98年に受講したジャン=フィリップ・コラール氏のレッスンで、氏が基本原理の応用を淀みなく滝のような勢いで説明するのを垣間見るにつけ私は何年かかってもそれを理解したいと思ったものです。その頃は正直もっとかかると思っていましたし、20年でここまで来るとは思ってもみませんでした。
一昨年まで演奏活動とレスナーとしての仕事でいつも時間いっぱいでしたが、昨年一年はこれまでのピアノの練習時間と同じくらいをヨガの時間や自分との対峙の時間をもちました。そして生徒たちをじっくりと見つめ、コンクールや試験前などに立ち向かっている曲については相応の勉強をし、それを伝えることに情熱をもって向かいました。そうやって少し自分がアティテュードを変えるだけで、生徒たちから数々の予選通過者や受賞者が出ました。生徒たちの情熱をくみとってサポートし、そうしていっしょに喜べる時間を持つことができたそんな中で自分自身の方向も見えてきた思いです。これからさらに楽譜を掘り下げ読んでゆくことの大切さを知りました。若い頃から手掛けてきたテクニックについては文献も少ないうえ文書だけでは到底分らないことのほうが多く、音を優先しながら自分が演奏発表を通して実践で学んでゆくことが必要不可欠でしたが、その点楽譜の掘り下げについてはいろいろな文献や研究があり、これから自分次第でどれだけでも勉強できる可能性があると思います。楽譜の有効な読み方、それはバイエルなんかの初期から教えていっても決して早いということはありません。でもまだまだ日本では何より指が動くことのほうに目も耳も行きやすく、楽譜がしっかりと読めれば指は動く、という発想がありません。楽譜の掘り下げは日本の音楽教育の中でとても遅れているところだと思います。生徒たちにとっては楽譜をていねいに読む力を持った上でショパンが説いたテクニックの原理に基づく手首の柔軟性などからくる音の響き(=タッチ)の豊かさをあわせ持つことができれば、生徒自らが自分たちの表現を自由に、最大限に惹き出すことができるでしょう。
音楽が好きで誠実に努力できる生徒たちをサポートしてゆきたい。ピアノに初めて触れてわずか半年で人前で弾く幼児の生徒にもテンポの大切さを、それだけで自信にみちた顔に変わります。ピアノを始めて2年めの生徒が音の並行や反行を読みとり表現できた時の嬉しそうな顔。ピアノを習って僅か3年で手首の柔軟性の大切さを見つけ、すばらしいショパンの響きに触れる生徒。それまでお母さんが弾いてくれる音を頼りにしていた生徒が自分で音符を読むことに挑戦し、頑張った時の達成感に満ちた顔。やる気のある生徒にとっては、1年1年がとても大切な時間です。ご両親の理解や環境も大切なこと、コンクール前には不安げなお母さまに励ましの声をかけることや最後まで課題を与える時も。お母さまの期待が大きくて本人が自分の気もちをよくわかっていない時期もあります。(たとえ結果やめることになったとしても)本人のこころからの気もちを引き出すこともレスナーとしての仕事だと思います。またコンサートやコンクールに誠意いっぱいで向かう者もあれば、覇気で向かう者もあるでしょう。生徒自身が音楽に対して真剣であれば、そこは容認する懐の広さも要ります。(これについては高校時代に小林仁氏のレッスンに伺った際、私の前に受講しているひとが何だか難しそうにラヴェルの作品を弾いていて「君、芸大受験は何回め?」と聞かれ「初めてです。」との答えに「初めてならそれもいいだろう。」と仰ってそのレッスンはお終い。私はそのやりとりに目を丸くして聞き入っていたのを思い出します。思えば私の師は厳格で寡黙な先生たちばかりでした。)音大卒の生徒や長らくいろんなレッスンを積んできた人でさらに勉強したいというひとたちも、音大での勉強やこれまでのレッスンがどんなポジションを示すのかを把握すれば、自分のやる気に勇気を持ち、未来の課題も見えてくるのではないかと思います。

音楽は広くて大きい。テクニック指導に加えての楽譜の読み込みについてはいろいろな先生方のご研究をみての通り、きりがない程に奥が深いことでしょう。これから10年、20年といったビジョンで演奏法として取りいれ、練り上げてゆくべきと思っています。そうしてたくさんの生徒の中から、世界に通じる生徒をひとり、育てたい。そう思います。

今年が皆さま方にとりまして、すばらしい一年でありますように。

エッセイ:香しい調べ

投稿日:2009-12-26

ひと月ほど前の11月23日、河口湖円形ホールでコンサートを聴きました。
一帯は紅葉まつりの終盤、この素敵なホールに出かけてみたいということで、友人と時間を作って出かけました。

ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトの作品にまじり武満徹、Yuki Morimotoの作品が演奏されたのですが、ウィーンフィル首席のおふたり、ヴァルター・アウター氏(フルート)とユンゲル・フォグ氏(チェロ)に加えて浦田Fog陽子さんのピアノがとりわけ素晴らしく、会場のベーゼンドルファーの音色とともに異空間へ誘う香しい調べを聴かせてくれました。

昨今ではヨーロッパでもクラシック音楽の衰退が囁かれていると聞きますが、このコンサートを聴いてまだまだ歴代のクラシックの伝統を語り継ぐ音楽家というのはいるものだと深く思ったものです。浦田Fog陽子さんのピアノに、音楽に大切な豊かな母性とこどものようなキラキラした純粋さ、凛としたセルフコントーロール力などを感じました。ひとつひとつの音すべてに限りない表現があり、また音に対するセンスが卓越していて、金粉がこぼれてくるような神々しさがあります。それは十数年前に聴いた20世紀の名ピアニストたちの往年の演奏を連想させるような、・・・そういったとても深みのある重みのある伝統へとつながる、最近ではなかなか触れられない感動をおぼえました。

後半に聴いた「没薬」はウィーン在住の作曲家Yuki Morimoto氏の新作。作曲、指揮、声楽、楽器演奏のレッスンにと幅広く活躍されているとのことですが、氏のレッスンを聴講した際、氏が奏でるモーツァルト、シューベルト作品を聴いているとウィーンのその作曲家の時代にタイムスリップしたかのような、或いはあたかもシューベルトやモーツァルトが舞い降りてきて弾いているのではないかと思うほど深淵な時空に触れ、感動したことがあります。ヨーロッパで西欧文化の分野で活躍している日本人の在り難さ。そこには西洋人、東洋人という枠を越えて、この西洋の伝統文化をどうしても次代に継承してゆこうという音楽への愛と信念を感ぜずにはいられませんでした。それもこれもウィーンという懐深い土壌がもたらす術でしょうか。

いずれにしても今年の終盤にこのような素晴らしいコンサートが聴けて、幸せな気もちでした。
浦田Fog陽子さんのピアノに感動し、でも名古屋ではほとんど知られていないのではと思ったので、特筆。

 

*コンサートの翌朝、湖畔でお目にかかったユンゲル・フォグ、
浦田Fog陽子さん夫妻とぱちり!

音楽のこころ、たずさえて

投稿日:2009-12-19

今朝は一面の雪景色。
暖冬かと思いきや、一気に寒くなりました。

今年は自分の時間を大切にしていろんな勉強をしてきましたが、そんな中で生徒たちといっしょにいる時間をとりわけ大事にしてきました。皆のピアノへの情熱はたいへん強く、上達に向けて一生懸命。こないだも小1の生徒がレッスン室からお庭に出た帰り際、お母さまに「きょうのレッスンどうだった?」と聞いている声がして、すごいなと思う。毎回のレッスンでのアドバイスをきちんと消化してくるくらい積極性がみられるようになると、次へ次へと向けて仕上げのレベルはどんどん上がります。それがYPF、ピティナ、グレンツェンなどのピアノコンクールや日本ピアノ教育連盟オーディションでそれぞれ受賞者が出る結果につながり、またそのコンクールを受けた子たちが皆それぞれに甘んじることなく、次のステップへと誠実に努力している姿を見ると、とても感動します。

受賞などの結果にはいかなくても、この秋のオーディションですばらしく開花した子がいます。この生徒はいつもあいさつも小声で言ったか言わないか。・・・バサッとカバンをフローリングの上に投げすてるように置くと、ピアノの前に座っても足がバタバタ。練習してきたのを1回弾くと、もう集中力がポ〜イとどこかへ飛んでいる。音感はいいし、すこし教えるとさっととらえるし、すこし弾いて音を示せばまたすぐに取りいれる。でもその気もちの在り方にいつもどうしたものか、と思っていた。小学生で、毎週ピアノのレッスンを楽しみに通っているだけならいいけれど、今回オーディションを受けたい、と言う。本番のひと月前を切ってからのレッスンは、叱ってばかりでした。本人なりに緊張感は出てきているのでピアノについてはひと言二言いうだけでさっと入る。でもその態度はだらだらの連続。私はお説教をしているつもりはなく何度も同じ注意をしている訳なのだけれど、それが本人のだらだらした気もちの在り方で、お説教と化してしまう。「こんどオーディションを受けに行くんだよね、もうじきだね。そこにいらっしゃる審査員の先生方はK君にいちども会ったことないのよね。それでこの課題曲2曲弾くと何分かかる?ざっと4分くらいね。とするとじっと4分のあいだK君のピアノを聴いて下さって、それでこの子にはどんないいところがあるだろう?他に、足りないところはどんなところだろう?それでどうすればこれからよくなるか?って真剣に考えて紙に書いて下さるの。わかる?そうやって時間とエネルギーを会ったこともないK君のために使って下さるの。だから演奏の前と後には心をこめておじぎするのよ。感謝の気もちが持てなければいけません。そうやって時間とエネルギーをいただくことのすばらしさをわかるひとになろうね。自分のために時間とこころを使っていただくっていうこと。それはお金を払うからもらえるというものではありません。」そこまで話すとピタッと照準がはまる瞬間を感じた。音楽には規律が必要だという私の信念が、彼の心にひゅっと入るのを感じた。そしてその直後、彼の指からこころからの素敵なピアノが流れるのを聴いた。オーディション後のレッスンでは講評を一緒に読み、噛みくだいてその内容を解説してあげると一生懸命に耳を傾けた。レッスンでもとても積極的になり、自信をもった様子。教える、という仕事は奥が深いと思う。ここぞ、という時には賭けに出る。彼は来春お父さまの郷里に戻るということを聞いているのでもう数カ月しか教えられないけれど今回とてもいい思い出ができて、さみしいという感はない。ぎりぎりまでよろしくお願いします、とお母さまの表情も明るい。いい音楽を一生こころに秘めたひとになってもらいたい、とつよく思う。

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