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ピアノ教室コンセール・イグレック♪


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生まれ変わった眼で。

投稿日:2024-04-29

昨年12月より目の霞みが進み、そろそろ時期かなという思いで白内障手術を受ける病院先を検討し、無事オペを終え、2週間が経ちましたる。

 

かなり長いですが、Facebook の友人宛に書き下めた文章、ご紹介します。

 

  〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜 

 

手術当日の朝8時半、受付。すでに来ている他の患者さんもいて、私は3番目ぐらいだったかな?荷物をロッカーに預けエプロンとヘアキャップを着せてもらい「奥の椅子で休んでいてくださいね。」と通されたところは誠に気持ちのよいリクライニングシートに、柑橘系の香りがする何とも居心地のいい空間。聴こえるか聴こえないかくらいの音量で、院長先生の好きなクラシックピアノが鳴っている。そこでしばらく待たされた後、「さて行きましょうかー。」と声をかけられ手術室の手前で待っていると、「緊張しないんですか?」と声をかけられる。手術するのは執刀医、私は何もするすべありませんものね、と言って笑う。あまりに平然とした風情にびっくりされたよう。

 

さぁ、手術室へ!

とても明るい部屋になっていて、椅子に座るともうそこからは先生の指示通り。「眩しい光が差しますから、そこを見ていてくださいね。」速やかに手早く処置が進められ、途中順調ですよ、あとはレンズを入れるだけ、など適宜声がけをされ、ほんの数分で終わります。

そして手術後の眼圧を下げる薬を服用した後、また居心地のいい椅子に戻り、待つこと2、30分。もう片方の目も同じように進行します。全てが終わったのは2時間後の10時半。私の前後で手術を終えたおばさまたちは「頑張りましたね。」とか「何か気分の悪いことはありませんか。」 など声掛けされているのに、私には一言も。(笑) 

まぁ、なんとも平然とした顔してたんでしょうね。何より病院じゃないって感じなほど居心地のいい空間でリラックスしまくり。それに緊張なんてしたってしょうがないでしょう。自分が手術するわけじゃないんだもん、ピアノ弾く本番前の方がずっと緊張するってもので。あはは。

 

 

会計を済ませ、この日は同じビルの4階にあるビジネスホテルに宿泊予定だったのですが、11時チェックインまでしばらく時間があったので、病院ロビーにあるフリードリンクのコーヒーメーカーを見ながら、看護師さんに 「今、白内障の手術が終わったばかりなんですけど、コーヒーは飲んでもいいですか?」「いいですよ! 緊張されましたもの、飲みたいですよね〜。」と言ってわざわざ入れてくださいました。初めてかけられた優しいお言葉〜。

予定していた前の病院では術後5日間くらいはコーヒーも飲めない(刺激物だから)という注意事項があったくらいなのに、この病院では術後直後に飲めちゃうというこのギャップ。すごいです!

 

そしてホテルの部屋にチェックインし、持ってきたお昼のお弁当を食べ、目薬をさしてうたた寝しました。何をしたわけではないのにとても眠くて起きたら夕方4時過ぎ、執刀医からのアフターケアコールにも気づかず、眠っていたようです。

 

しばらくするとホテルの電話が鳴り、何かなーと思って出たら、一水会絵画展の搬入を済ませた母がフロントまでやってきているとのこと。階下のカフェブースに降りて行き、一緒にコーヒーを飲みダベリング。母はちょうど絵画展の集まりで知人たちから「それは、大変。もう早く帰っていいからお見舞いに行きなさいよ。」と言われたらしく、両眼とも眼帯をしてどうしてるんだろうな?って思いながら覗きに来たみたい。保護メガネといわれる見た目ふつう〜のメガネをかけて両眼パッチリ開けている私を見て、唖然呆然。私自身も午前中手術をしたとは思えないくらい、別段普通で、目はくっきりはっきりとよく見えているし 、とても明るく気持ちが前向きに。とっても元気なのが不思議なくらい。

 

夕方になり、病院では駅前のレストランに食べに行ってもいいですよと言われていましたが、朝から電話注文しておいた磯丸水産のテイクアウト弁当を一緒に受け取りに行きました。ホテルから歩いて3分くらい。7時間前に両眼の手術をしたばかりの自分が、颯爽と金山の街中を歩いているのが不思議でした。(笑) ホテルに戻り、サーモンといくらの親子丼、美味しかったです。そしてまた目薬作業に終わり、やたらと眠く、本当何をしたわけでもないのに、やはり手術というのは疲れるものだナ。きっと眼の方が全神経を使って新しいレンズに適用しようと頑張っていると思わざるを得ません。 

 

スマホもテレビもご法度で、ホテルの部屋では何もすることがないから、もっぱらスマホでフランス放送のradio classiqueを聴いて退屈しのぎ。

 

翌朝はホテルで朝食をゆっくり食べ、9時半の診察を終えて帰宅しました。やはりホテルに泊まって正解、とっても楽チンでした。

 

その後はどんな感覚かって、ずっと近視だった私にとっては24時間コンタクトレンズを入れっぱなしのような状態!夜寝る前コンタクトレンズ外さなくっちゃ、という錯覚にとらわれる(笑)〜。それにしても眼鏡なしで楽譜が見れることの喜び、音符がきちんと白地に真っ黒に見えてびっくりした!ここのところはずーっと濃いグレー状態だったもんね、そして 小さなdim.とかritenutoも目に入ってきて、あーこんなとこ見落としてたみたいな発見しきり。眼もアタマも疲れっぱなしだった訳だ。

 

術後3日の検診の後、県美ギャラリーに絵画展を見に行き、びっくりしました。とても明るく、色彩がはっきりくっきりと見え、細かい筆致までしっかりと目が捉えています。去年など東京にあんなに行っていたのに、目を引く美術展があってもなんとなく行く気になれず、館内は絵画保護のため薄暗くなっているブースもよくあるし、そうなると本当によく見えない。そんな思いをした経験が蓄積し、ずっとここのところ足が遠のいていたもの。でもこれでまた美術鑑賞の楽しみもぐんと増えます。

ピアノもそうです。毎日の慣れですべてが仕方ないやで通り過ぎていたものですが、楽譜を見るのにやはりアップアップの状態だったのでしょう、自分でもよく覚えているのが2018年のコンサート録画を見た時、楽譜を見ながらプーランクの「愛の小径」を弾いているのですが、目が泳いでいる。楽譜を見るのか、手元を見るのか、遠方の風景を見るのか、どこを見るともなしに視点が定まらず、目が泳いでいる。自分の画像を見てどうもおかしいよねっていう感じ。その後も本番中にピアノ伴奏の音符がよく見えなくなったり、やはり目についてのトラブルで色々と積極的になれなかったことしきり。読書もそう。

 

この手術後は、不思議と首や肩の張りが抜けていき、姿勢もよくなったし、眼が泳がなくなった分微細な身体のブレもなくなって、ピアノは生まれ変わったように解き放たれた状態です。

2週間が経ち、その感覚は定着しつつあります。本当に人生変わったくらい嬉しいです。

 

人は40代に差しかかるとどんな人でも老眼の症状も出てくるはず。近視も老眼も乱視も全てを治してしまう昨今の白内障手術、すごいなと思います。ほとほと片頭痛で悩まされていた40代の頃からこんな眼科にかかっていたらと思います。(詳しくは「スゴ腕眼科医が教える白内障治療」幻冬舎刊を参考になさってください。)

 

この手術をして本当によかった。

そして私は色々な経緯、成りゆきから3軒の眼科で術前検査を受けたわけですが(こんな経験する人もそう 滅多にはいないでしょう)、その検査項目の数やそれに要する時間、費用、また扱う眼内レンズの種類などから見て、医学界のアップデートは見張るものがあり、医師の数も病院の数も増えた分患者側としては便利になってきてはいますが、いろいろな病院や医師の情報を得て賢明に選択していくことは、これからの人生を生き抜く上で大切なこととしみじみ思いました。

 

より繊細な身体の使い方とタッチ、アタマを使った合理的な練習に徹し、また自由になった読書から、音楽史や作曲家についての文献にもさっさと目を通し、イメージ豊かな演奏が出来るよう、一日一日を大切にスキルアップしていくと決めました。またここからが、最終がんばり時なのでしょう。淡々、黙々と、自分がやるべきと思うことをやっていきます。

 

皆さま、これからもどうぞよろしくおつき合いくださいませ。

 

ピアノ教育の基礎を想う

投稿日:2023-11-28

もうすぐ師走に入りますね。

10月半ばすぎワルシャワから戻り、だいぶ時間が経ちました。

ワルシャワでは第2回ショパン国際 ピリオド楽器コンクールを聴きいてきました。

エントリー30名の第1次予選から2次予選、6名のファイナルの4人めまでを聴いて帰ってきました。 会場には素晴らしいプレイエル、エラール 、ブロードウッドなどの銘器が並び、素晴らしいコンテストタントたちの奏でる数々の楽器の音色が、耳の奥にたくさん残っています。

 

 

 そして私はこの2年ほどの間にフォルテピアノを勉強してきたのですが、とりわけ第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール2位入賞の川口成彦先生には昨年から延べ10時間以上にわたるレッスンを受け、このワルシャワで1日8時間にも亘るコンクールを聴き進めることで、耳が浄化され 、レッスンで色々と言われてきたタッチの奥義について合点のいくひとときとなりました。

 

戻ってきてからの、自分の出す音の変化が楽しいです。

 

 

日本のピアノ教育で導入の頃から弱音を出す練習というのはなかなかしないものです。

手の小さい子供たちに大きな音を出す訓練はさせるものの、ミニマムな動きでppを奏でることは繊細な神経を必要とし、大人目線。

 

しかし子供たちにとって実はそんなに難しい話ではなく、まだ体の小さい子供たちにとってffを弾くことの方が難しく、また鍵盤の上からバンバン叩いて間違ったフォルテ奏法を身につけてしまいがちです。

 

私の教室では早い段階からピアニシモの音の出し方を勉強しますが、とても大切なことと私は考えています。

 

 

11月23日は第57回中日ピアノグレードテスト記念演奏会(PGTピアノコンクール)の審査でした。このコンクールの特徴は年齢別の垣根がないこと。幼児から大学生までの参加者50名を対象に、最優秀賞はノヴァーク「追憶」をしっとりと聴かせた大学1年生。3回未満の出場者も選抜対象となる特別奨励賞(1名)は、ラヴェルのオンディーヌを見事に弾いた小学5年生でした。

 

こうした素晴らしいリトルピアニストもたくさんいますが、タッチのことをあまり考えずに大きな音でまくし立てる演奏も数多いものです。

 

ピアノ教育の基礎について、やはりしっかりと教えていきたいものです。

 

次の日曜日はピティナ新名古屋支部の勉強会で、ピアノテクニックの講座をさせていただきます。

 

12月下旬は教室の社会人生徒たちを対象に「クリスマス会コンサート」をやれるといいなと予定しているところです。

 

では皆さま、寒い冬お元気でお過ごしください。

 

☆ピアノ教室申込みは↓

https://www.musicliaison.com/contact_teacher/input.php?id=3

 

 

 

フランスNohantノアンでの研修を終えて

投稿日:2023-08-03

皆様、暑中お見舞い申し上げます。

7月14日から大宮市で開かれた「フォルテピアノアカデミーSACLA」に続き、4月に【第4回 ノアンフェスティバルショパンインジャパンピアノコンクール】でパスポート賞を受賞したことでフランス・ノアンで開かれた〈ノアンフェスティバル ショパン〉を訪れ、研修を終えて29日帰国しました。 

 

 (ジョルジュ・サンドの館)

 

ノアン 滞在中は大変ありがたい貴重な経験もさせていただき、想像以上の収穫があり、自分でも驚いています。地元の方々の親切もあり、滞在中 イギリス人 ピアニストのお宅で練習もさせていただき、このフェスティバルを統括するイヴ・アンリ氏のマスタークラスのレッスン聴講もヨーロッパの教会など石の建築物の中で聴くとまた理解も格別でした。

 

 (羊小屋ホール)

 

 (ショパンがピアノを練習した2階の部屋への階段)

 

Facebookフレンドのジョルジュ・サンド研究家Miclonさんご夫妻と対面したり、最高の思い出はノアンのジョルジュ・サンドの館に設置されたアメリゴ・オリヴィエ・ファディーニ氏のピアニーノを弾かせていただいたことでしょう。ショパンとサンドのサラマンジェsalle à mangerで弾くことのできたファディーニ氏のピアニーノからは、ショパンの囁きや溜め息が聴こえてくるようでした。

音源↓

https://youtu.be/WDB7eOIyQqI

 

 (左イヴ・アンリ氏、両端はMiclon夫妻)

 

書きたいことはまだまだたくさんありますが、8月11日に名古屋市南文化小劇場にて「ピアノ教室 コンセール・イグレック門下生コンサート」、そして 8月13日には三重、菰野ピアノ歴史館にてこのノアンフェスティバルについてのお話を入れた レクチャーコンサートを控えています。レクチャーコンサートでは、歴史館のピアニーノ、エラールなどを使ってマズルカ13番、雨だれ、小犬のワルツ、ノクターン第2番など、ショパン作品の数々を演奏いたします。

 

きょうは帰国のご挨拶までとして、皆様暑い夏をどうぞお健やかにお過ごしください。

 

またFacebookには写真や動画など掲載しやすいので、すでにいろいろな写真をアップしています。ご関心のある方は アカウントを作ってご覧ください。

 

 8月の2つのイベントで、皆様にお目にかかれましたら幸いです。

 

 

  (パリ在住フォルテピアノ修復家Fadini氏と。)

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