レッスン楽器


上部フレーム

ピアノ教室コンセール・イグレック♪


ブログ

サン・ラザ−ル駅の「子犬のワルツ」

投稿日:2013-12-06

とびっきり楽しいyoutubeのサイトを見つけたので、思わず ♪♪♪

http://www.youtube.com/watch?v=pj9FOouWV4g

パリのサン・ラザール駅でのひとコマらしい。

弾いているのはフランスのピアニスト、ジャン=フィリップ・コラール。

 

15年ほど前だけど、ニースの国際アカデミーでレッスンを受講し、軽やかさをともなったグルーヴ感がもたらす迫力感、またテクニカルな面ではものすごく勉強することになったし、影響を受けた。

 

レッスン中に携帯が鳴ると着メロの「ウィリアム・テル序曲」に乗って踊ってみせたり、集中力がマックスになると「5分休憩!」と言ってふらりとコーヒーを買いに行ったり・・・とこの映像さながらに茶目っ気たっぷりでしたが、レッスンでいざピアノが鳴り始ると、音楽への構えも、ホールでの聴衆を前にした演奏に対しても、すごくシビアな先生でした。

 

それにしてもこのパリジャンたちの雰囲気、いいね!(^^♪

 

真面目な演奏のほうもぜひ。→ http://www.youtube.com/watch?v=eiwVGn93xX0

 

 

映画「春興鏡獅子」を観て

投稿日:2013-12-01

きょう「春興鏡獅子」という勘三郎のドキュメンタリー映画を観に行った。

祖父・菊五郎から受け継いだこの古典歌舞伎の「(旧)歌舞伎座さよなら公演」の舞台を見る。

勘三郎のインタビューが挿まれ、「20歳でこの演目を初めて演じた時は教えられたとおりに精一杯の思いで演じ、及第点をいただいたが、その後無欲というかまっさらな思いで演じることが難しくなり、やはりここで可愛らしく、とかいろんなことが頭をよぎり、演じられなくなってしまった。頭が入るといけないんです。」というような話があった

 

実に演奏と同じだと思った。

いい演奏ができても、同じようにやろうとすることは邪道だ。

こないだ練習でうまくいったから同じようにとか、こないだのコンクールでは上手く弾けたからあの通りに、などと思っていると、音楽は空回りを始める。ここが自我との闘い、業との闘い、かな?

頭でなく、こころで向かうべき。勘三郎は「腹から出てこなきゃ」みたいな言葉を使っていたような気がする。

 

「鏡獅子」の初舞台から何十年も時を経た円熟期の勘三郎の舞を、フィルムは映し出す。 前半最後の獅子の精が乗り移り、暴れ狂うたった数十秒のクライマックスへ向けての集中力に感無量。


 

 

その片方で私はふと大学を卒業して間もない頃のことを思い出していた。歌舞伎や邦楽の語り伝えと西洋音楽の伝承では全く違う文化の違いがある。

カリフォルニア大学に赴任された作曲家湯浅譲二先生が帰国なさった折に話す機会があり、「日本の音楽教育ではここをcresc.とかdim.とか、まったく枝葉的なことしか取り沙汰されないよね。」とシニカルに話されていたことを思い出した。

 

ちいさなこどもの曲でも「ここはこう音が動いているからだんだん大きくしよう。」とか上級になれば楽曲の成り立ち、フレーズの分析から音楽の流れを読み、「だからcresc.するわけね。あ、そう、ほら、ちゃんと書いてある!」と、ディナーミクの指示も私のレッスンではあと付けだ。

 

表現のある演奏がしたい、などと言いながら、cresc.と書いてあるからだんだん大きく、なんてことをやっていては自主性のある表現など生まれてこない。

だからこそ本当の読譜力が必要なのだ。

 

 

こないだ東京で新歌舞伎座で歌舞伎を見たときのことはまだブログに書けていないけど、そこでの感動以来、日本の美に触れている。

 

先日京都へ出かけた。

素晴らしい紅葉に恵まれたが、瑠璃光院のライトアップは歌舞伎のワンシーンのように言葉を絶する美しさ。 

 

    


    瑠璃光院ライトアップは今年最初で最後? 幽玄のひととき。

 


   源光庵 


    東山にて  


たくさんの美しさに触れ、リフレッシュのひととき。

気持ち新たに今月の「門下生コンサート」に向かいます。

 

アーカイブ

下部フレーム