レッスン楽器


上部フレーム

ピアノ教室コンセール・イグレック♪


ブログ

門下生コンサート2011を終えて&「ラ・フォル・ジュルネ金沢」(1)

投稿日:2011-05-08

5月2日

きょうは晴天。雲ひとつない空に日差しがまぶしい。

9時半起床。昨夜は門下生コンサートを終えて10:30にはバタンキューだったのに、まだ眠い。掃除をすませ、メールチェックをして名駅に12:30。

金沢行きのハイウェイバスに乗り込む。

 

乗車前に買ったお弁当を早速開ける。私は松浦商店のお弁当がお気に入り。

店員さんにどれが松浦商店製か聞いて、選ぶ。

きょうチョイスしたのは「名古屋弁当」。

8つに仕切られた懐石風のアレンジにうなぎ、天むす、みそカツ、きしめんの胡麻和えなどのお惣菜が入っていて、う〜ん、にゃごやぁ〜気分!

ゆっくり気ままにこうしてお昼を食べられるのも、久しぶり。

おまけに私は乗り物が大好き。バス、船、飛行機。・・・

みんな乗り込んだら食べるか、眠るか、音源聴くかで、ぼ〜っとするしかないのが好き!

 

昨日の門下生コンサートの皆の演奏、素敵だった。

先回ちょうど4月だったので、この一年皆多いに成長したのを見てとれた。

上達したな、と思わせた生徒、(精神面でも)成長したな、と思わせた生徒たち。・・・

年齢にかかわらずご年配の生徒にも、音楽するには広い心意気というものが必要なことを語りかけ、ひととしてどうあるべきかを語るレッスンもあった。まだまだ精神面がほんの子ども達への叱咤激励の配分や、家族のフォローの塩梅まで、最後まで気配れる限り気配り、声をかけ、見守った。

本番を前にして緊張している年少の生徒に向けても、演奏する立場としてどういう心構えが必要なのか、本人に心をこめて語り、またご父兄にもフォローすべき一番近しい人として、その姿勢をふり返させる言葉を向けることもあった。

出演生徒の優に半数以上、よくよく数えてみたら2/3にあたる生徒がピティナ・コンペの課題からの選曲で、この課題が発表されてから2か月余り。

3月1日に全国で一番先に東京で行われた課題曲説明会に出席してからこの昨日の門下生コンサートまでぴたり2か月だから、本当にこのふた月、寸分気を抜けないというか、もうすこし回り道する時間があったとしてもいつもなら見逃してあげられるのだけれど、今回ばかりはその隙を与えずして厳しいレッスンが続いたので、つくづく今回の生徒たちはよくぞ着いてこれたなと思う。皆音楽への情熱に加えて、勇敢さも持ち合せた可愛い生徒たちばかり。・・・レッスンでは細かいことばかりだけれど、昨日ばかりは大きなビジョンで、これからどういった側面を引き出せば可能性が広がるかと、各生徒の演奏を聴きながらイマジネーションを開いていた。これからが頼もしい。

 

同年代の友人の何人もが4月に入ってから新型インフルにかかったらしいが、私も先月から副鼻腔炎をこじらせているようで、すっきりしない体調のまま5月に入ってしまった。きょうも軽い頭痛があるのだが、やっとのんびり、ぼ〜っと出来る。

16:45金沢着。チェックインのあと、すこし休む。

 

さて、金沢の「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」に来るのも今年で3回め。

今年のテーマは、シューベルト。今夜から10公演以上を聴く予定。

これから3日間、ピアノソロやバイオリンソロはもちろん、オーケストラ、カルテット、五重奏に交じり、歌曲も聴けるのがすごく楽しみ! 

 

         

 

今夜は8時から、井上道義指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)+ウォルフガング・ホルツマイアーのバリトンで歌曲集「冬の旅」全曲。

行きたいピアニストのリサイタルでさえなかなか時間を作れない昨今、こういったプログラムを聴きに出かける贅沢って、まずあり得ない。

シューベルトの深い哀愁と孤独の人生観、何と美しくも儚く語るのか。・・・ヴィヴラートの多いメロディ、テヌートのかかったピチカートなど、弦の美しさが映える。

奥深い厭世観が導く美の世界。・・・圧巻。

シューベルトって、すばらしい!        

     ISHIKAWA ONGAKUDO 

 

桜の調べ

投稿日:2011-04-07

昨日、5月1日に控えている門下生コンサートの試演会がありました。

こうした時期にあって、教室に皆が集まってこういった時間が持てることが、とても温和で幸せなことだと思われました。

 

先日東京の友人に電話してみると、どうしても街じゅうがとても明るい話題には至らない、東北地方に近いとあって、やはり何かと暗い情報が入ってくるし、節電が必須で照明も暗めで、ぱっとどこかへ出かける気分にはなれないし、とくに夜の外出は思い浮かばないらしい。

卒業式が延期になったり、謝恩会などのイベントはもちろんなし。この3月は東京での各種ピアノコンクール全国大会の時期でしたが、計画停電の影響ですべてキャンセルとなりました。

 

この計画停電、前日からわかるものではなく、数時間直前に知らされるので、計画は立たせようもなく、地震後の3月は都内主要ホールでのコンサートはすべてキャンセルでした。

私が先日上京して出席したセミナーも、時期がラッキーというものでした。

また海外からの来日アーティストの演奏キャンセルも続いています。

 

都内の学習塾の春休み集中講座といったものもすべてキャンセル、ピアノレッスンなども毎夜停電になったらどうしよう、という不安感のなかにあったと聞きます。

 

日本の片側ではこんな状況にあって、反対側にいる私たちは一刻防災用品や飲料水買い占めなど、すこし揺れただけでふだんと変わらない生活が戻っています。

 

今はこうしてピアノを弾き、レッスンを受けられ、コンクールやコンサートで弾ける当り前のしあわせのなかにいるのだな、と思います。

 

コンクールや発表会を控え、日頃に比べるとすこしぴりぴりとした生徒たちを見るにつけ、ちいさなことにとらわれず、こうした自分たちの環境をふと違う視線からみやってほしいな、と思うこのごろでした。 

 

名古屋では街中の桜が、見ごろを迎えたようです。

 

レッスン室から見える花霞が、格別。

こころ和むひとときです。(^・^)ー☆

 

桜のつぼみ

投稿日:2011-03-20

桜のつぼみ、ふくらみかけてきましたね。

今年に入ってから、何かと勉強です。

まぁ、やることがいろいろとあって、なかなか毎日とはいかないのが実情ですが。・・・

 

まずは英語?・・・年明けにグァムに行ってから、なぜか無性に英語に浸りたくなって英語教材を丹念に調べてゆくうちに或るいいものとめぐりあい、その中のひとつ、日本語脳を抑制するヒアリング教材を聴いていると聴覚神経がとてもリラックスして集中度がものすごく上がる。英語をつかさどる周波数は日本語領域のそれを随分と越えていて、どんなに英会話を勉強してもヒアリングや発音は一過性のものでうまくはならず、海外留学しても、成人してからのものでは、日本に戻り何年か経てば抜けてしまうといわれる。

こういった知識は以前からあり、それは音楽にも同じことが言えると考えていた。

 

海外での勉強をしている間はいいが、こちらに戻って日本語圏で日本語の語感のなかで生活し、日本の家屋の狭い周波数範囲にいれば音楽もそれなりに戻ってしまう。 

だから外来の演奏家の生のコンサートを聴いたり、常日頃からその音が身体に沁みつくくらい聴いていなければ、絶対に自分のものにはならない。

私はそんななかでフランスメソッドの技法の勉強に勉強を重ね、自分のものとした。

 

それでもまだ矛盾を感じるところもあったのだが、このヒアリングシステムを聴いているとその問題が解決され、英語のヒアリングの力も数週間で自然とそなわり、(・・・うむ、でもただ聴きとれるようになったもののもともとボキャブラリーが乏しいので何を言っているかわからない?!(+_+)/~~~のですが・・・)しかしまた音楽の聴こえかたもいっそう繊細なものに変わり、冴えてきた。

 

 

近年、ピアノ教育界はコンクール時代というべき時期の真っただ中で、世の中にはいろいろなコンクールが山のようにある。

 

ひと昔前はコンクールと言えば数えるほどしかなくて、コンクールを受けるということはそれ以前にかなりの勉強量(バッハなら2声、3声のインベンション、平均律など全曲を手がけ、ハイドンに始まってモーツァルト、ベートーヴェンソナタはもちろん、ツェルニー課題は50番、60番すべてやった上にショパン・エチュードなど)を積んでいる、ということを意味した。それに比すれば、今のコンクール参加者たちはインベンションも1、2曲しかやったことない、平均律もこれから。・・・モーツァルトソナタ?1曲しかやったことないけど。・・・そんな参加者も多いのである。

 

そんなでもコンクールに果敢に挑戦する。

舞台経験を踏み、度胸はついてきている。集中力の配分もいい。・・・

ある程度経験を積むと「受賞」ということにつながることもある。

こういったコンクール状況下にあって、10年も前の私には「それ、ちょっと(時代が?)違う!」って感じだった。

 

でも最近のコンクールっ子たちにとっては、半ばこういった状況は当りまえ。そんな中で確実に力量をレベルアップさせてゆくには、指導者側にも変革を迫られる。

状況をつかみ、課題曲に翻弄されない実力をつけさせるには、年間ビジョンにもとづくはっかりとした生徒個別のカリキュラムを教える側がもっていないといけない。

 

私は、昨今のコンクールは「適宜に」「適時に」有効利用して、勉強の機会にすればよいものと考えている。本人にとって必ずしも参加することがいいとは限らない時期もあるし、参加することで飛躍的に伸びる時期もありうる。

それにコンクール参加や結果は言うまでもなく通過ポイントであり、音楽に向かっている時間のほんのひとコマでしかない。

コンクールなどとは関係なくピアノをしっかりとおけいこできている生徒もいるし、コンクールを受けたがっても有効利用できない時には充電期間をもたせる。 

 

 

今回のピティナ会報誌「Our Music」292号で印象に残った記事として「初見力を養う」の林達也先生の文章は、意見を同じくするところが多く、気もちがすっきりした。林先生の「習うより慣れろ」「ミスにとらわれず音楽の本質をつかめ」といったお考えは、まったくその通りと思う。

 

先日ピティナコンペの課題が出たばかりだが、こうした期日付きでまとめあげる際にとくに大事なことが「読譜力=初見力」、すなわち最初の譜読みの段階での確実性とイマジネーションが曲を仕上げる原動力につながり、なによりの土台である、と考えていた矢先。林先生がおっしゃっている「完璧ではない」初見能力の重要性を切に感じる。

 

私は、中身としてはまず拍感をとらえること、拍のなかでのリズムパターンを読めること、そしてそのリズムの持つ音楽の雰囲気をつかむことが第一と考える。

そこからメロディのアーティキュレーションに目を向け、調性(主調と転調部の関係性)をつかみ、曲の性格を考える。

またその際に指使いを考え、仕上がりのテンポを想定した上での適切なタッチを予測する。これも加えて重要なこと。

譜読みでは曲の概観をつかみ、曲想をつかむ。そこから練習が始まる。

 

「譜読み」というと音を追うだけ、と考えているひとが大多数を占める。

しかし、「譜読み」は「音読み」ではない。

音は覚えるほど練習しても何拍子の曲かと聞かれるとわかっていなかったり、リズムが死んでいたり、といったことはよくありがちだが、私はこういったことについては入門・初心者の相手が幼児の段階から、はっきりと何度もくりかえし教えている。

 

 

私は上級者レッスン生たちの楽譜を練習することも時折はあるが、ほとんどはレッスン中初見で生徒たちのまえで弾き示し、解説する。

どうして初見ができるようになったかは、やはり読譜量か。

初見は音大時代も管楽器の学生の伴奏などで鍛えられたが、教えるようになった若い頃からツェルニー全曲、ソナチネ集はもとより、バッハ、モーツァルトやベートーヴェンソナタ、ショパン・エチュードといったものを全曲片っ端から通奏してみることで何度も勉強した。本で言えば乱読状態の積み重ねだが、そういう時間は絶対に役に立つ。曲は1曲でもたくさんみるに限る。

 

 

あと、小倉郁子先生の「親学講座レポート」もたいへん興味深く読んだ。

 

先日私は、このHPのなかのエッセイ「最近のレッスンで思うこと」でも、「とにかくお母さまはお子様のよいところをみつけて誉めてあげてください」と書いた。この後、とてもお母さま方の反応がよくなったのでほっとしている。

 

私は日ごろレッスン中は生徒たちにべた褒めしないし、とにかく次の練習の注意点に、と専念しているので、まず褒めている時間もないといったほうがいいかもしれない。

だからお母さま方はうちの子は不出来なのかしら?と不安に思っていらっしゃった節があったようなのだ。お母さま方との連携が出来てよかったと思う。

 

あと小学高学年にもなると、中学受験のための塾通いなどの問題ともぶつかってくる。

家のなかでも「ピアノなんかより勉強でしょう?」といった雰囲気が出てきて、そうなると生徒自身もどうしても片手間の気もちが出てくるというもの。

でも、エネルギーをセーブしてひとつのことに100%消化しない者が、他のものに100%精魂込められるだろうか。

 

結局コンクールやコンサートなどでずっと忙しい生徒のほうが、進学校にも入ってゆくし、ピアノのほうも予選通過や受賞続き、というありさま。

ほんとうにこのレポートの中盤の結び、「何事も一生懸命やることを身につけたお子さんはお勉強もしっかりやるのです。」の言葉通り。

この会報、教室に付箋をつけて置いている。

 

 

さて昨年の終わりごろから、今後のレッスン課題として「幼少期からよい耳を育てること」の重要性を感じている。

 

教室ではレッスンが前後になる同年齢くらいの生徒がいると、ペアを組ませ、毎回10分程度のソルフェージュ機会をおいている。 

2人がレッスンでやっている曲やもっているテキストのなかの曲などを私が弾き、向こう側で手拍子をとらせ、何拍子か当てさせたり、その曲について音で導きながらアナリーゼをいっしょにする。

 

また簡単な譜面で初見をさせる。

一方の生徒が弾く時は、必ずもう一方の生徒に拍子をたたかせる。

こうすることで弾く子はミスしても止まらず進ませるナビゲーションになり、また拍感を育てる意外にいい機会になっている。

 

聴音についてはいろいろと考察がある。

単音から始めるが、重音になると途端にできなかったり、和音についても単独で「ドミソ」とか「シファソ」とわかってもあまり意味をなさず、関連性のなかでとらえなくては演奏上の効用はあまりない。

調性をとらえるべき音階のT→X→Tの音型ですら、「ド→ソ→ド」くらいならすぐとれるようだが、♭4つくらいの調になると結構つかめない。

指は巧みに回っても、いかに演奏時にこの左手の大切な音の進行を聴いていないか、ということだ。

 

ピアノ以外の別の曜日にソルフェージュ時間を作ることは生徒側にとっても負担と思われるので、この10分という短い時間でやれる効果的なことは何か。これが私の当面の課題だ。

 

加えてL・モーツァルトやC・P・E・バッハの記譜法に関する書物を何冊か読んでは、また読み返す。そんな毎日。・・・

 

アーカイブ

下部フレーム